今回は、あの有名な大洪水の後、大陸が裂けた後‥、今から数千年ぐらい前の話になります。
現在では、今の地中海のあたりにあった比較的大きな島で起きたことではないかなと思っています。
南か南東の方向へ逃げて、今の北アフリカ地方に着陸し、さらに東へ進んで今のエジプトを通過しました。(志摩川)
私は男の子として生まれた。小さい頃から家の中だけで育てられていて、家の敷地の外には一歩も出たことがなかった。家の周囲は鬱蒼とした森で、訪れる人といえば少数の父の仕事仲間ぐらいであり、そこに人影を見ることはなかった。私には専属の教師がつけられていて、彼等に私の一切の教育が任されていた。両親と数人の家庭教師そして父の友人以外、私は人とほとんど顔を合せたことがなかった。
十代後半になってやっと外に出られるチャンスがまわってきた。父の事務所まで同行できることになった。私達父子は移動車の後ろの座席に座った。道は左に森を見ながら大きく右にカーブしていた。右下にもやはり木が密集していた。私にとっては未知の光景が車窓に広がった。私は生まれて初めて見る外の景色に熱心に見入った。
「おい、おい、まるで子供みたいだな」
父は私を見てこう言った。森を抜けると視界が広くなった。道の両側には作物が綺麗に植えられていた。街の中に入るとしだいに人の数が多くなってきた。こんなに大勢の人々を見たのはもちろん初めてのことであった。
父の働いている事務所はその街の中心部にあった。父の部屋の壁や床、天井はそれぞれ綺麗に磨かれた美しい石で内装がされていた。部屋のほぼ中央に置かれている机も石でできていて、それも光輝くばかりに磨かれていた。石そのものの冷たさとは別に、それらの石から独特の暖かみがあふれ出ているのが感じられた。私は暫しそれらの石の美しい輝きに見とれていた。
街の中を一人で散歩してみることにした。南の方向に進んだ。興味をひくものがあったので早速入ってみた。プラットフォームに出ると、目の前に二本のレールが光っていた。右の方からやや丸みのある銀色に青色の帯を巻いた車両がレールの上を走ってきた。速度を緩め停止した。扉が開いたので、それに乗り込んだ。天井は手が届くぐらいに低く、車幅もやや狭いように感じられた。椅子は前向きに座るようになっていて、ビニールのシートのようなもので覆われていた。車内はあまり手をかけられてはいないようで、隅の方がやや汚れが残っていた。電車は街の裏側の狭いところや地下を縫うように走っていた。
後ろの方で誰かが話し合っている声が聞こえた。そして足音が私に近づいてきた。
「カードを拝見したいのですが」
「何ですか、それ」
「持ってないんですか!」
「そういうものは、何も」
「お名前は!」
私は自分の名前を言った。
「それでは、あなたのお父上は‥」
彼は父の名を知っていた。
「ええ、そうです」
彼の態度は急に穏やかになった。
「お気をつけて」
彼はきまりが悪そうにこう言うとすぐに隣の車両へ行ってしまった。暫くの間そのまま乗っていたが、乗車した駅に再度到着したのでこの電車を下りることにした。そのまま同じ駅に戻ってきたということは、環状線になっているのか、それとも折返し線を通ってきたのかのどちらかだろうと思った。
駅を出て、こんどは街の店を気の向くままに見て歩いた。本が並べてある店に入った。客達は本を手に取るとそのまま店を出ていった。私も気にいった本があったのでそのまま手に取って店を出ようとした。どこからともなく突然警報音が出た。店の主人らしき人が奥から出てきた。
「お客さん!」「大事なもの忘れてますよ!」
私はきょとんとしていた。
「あれですよ!」「あれ‥」
「ああ‥」
私はあのカードとかいうものだと思った。
「ああ、どうも‥」
私は手に持っていた本を店の主人に渡した。
「あれが無いと、どうにもこうにもできないもんで‥」「よろしくお願いしますよ」
「すまんね‥」
私は主人に謝って店を出た。この街ではそのカードとかいうものがないと何もできなかった。 私は父の事務所に戻った。
「何をしてきたんだ」「ちゃんと連絡が入っているぞ!」
父は怒鳴ったが、それきり何も言わなかった。普段から親子の間で会話らしいものはしたことがなかったが、今回もこれに関する父との対話は全くなかった。私が失敗したらしいことは確実であったが、私には父の言わんとしていることは全然わからなかった。父は私の意見や話は少しも聞く気がないようであった。私は二度と同じ失敗を起こさないためにも今回の自分の失敗をはっきりと指摘して欲しかった。しかしその願いはかなわないまま、外出禁止となった。
私は家の中で深刻に考えた。
『このままでは社会のことを何も知らないで、世間知らずのまま大人になってしまう』『今まで教育してもらっていたことは一体何だったのだろう』『知識として植えつけられてはいるが、世の中には何も役にも立ちそうにない』『人と人との関わりを持ち、それから直接に学んでいかないかぎり、どうにもならない』『このまま家に閉籠もっていることは何のためにもならない』
父は頭っから私のことを相手にしていない様子で、取り付く島もなかった。私はこの思いを母にぶつけてみた。思い起してみれば、母も私の教育には一切関与したことがなかった。専属の家庭教師に私の教育の全てを任せていたのであった。母は即答ができずに黙り込んだ。一生懸命になって考えてはいるが、何をしてよいのかわからないという様子であった。
父親がやってきた。
「母さんから聞いた」「おまえの言いたいこともよくわかる」「あの家庭教師もろくなことしか教えなかったようだな」「あいつらにはやめてもらう」
「別にそれとこれとは全く関係ないのですが」
私の言いたいことは全然わかっていなかった。父は私の言葉には耳を傾けずそれを無視した。父はいつもの通り一人で勝手に思いこみ納得してそれを押し通した。
「大切なことを一つも教えんで‥」「そんなやつらはもうこなくていい」
『何でこんなことを、わざわざ他人を使って教えるのだろう?』『親子の普通の生活の中で自然に伝わるだろうに』
「それから、おまえのためにこのカードを作っておいた」「身体に刷り込むこともできるが、まだこのカードで充分だろう」「一人前の大人になったときにどちらを選ぶか考えろ」「私はもう自分の身体に刷り込んである」「カードを忘れる心配がなくて気が楽だ」「身体に刷り込むのを嫌がってカードをそのまま使っている連中も大勢いるが‥」「それから無駄使いはするなよ」
私は黙ってカードを受け取った。そのカードをポケットに入れてから、街の中で歩きまわっても何のトラブルも起こらなくなった。もちろんポケッ卜に入れておくだけで買物もできた。
家から街までの距離がかなりあり行き来に不便があったので、自分専用の移動車を手に入れてもらった。だが他人と心から接する機会がほとんどなく、友達もできずに相変わらず代り映えのない生活であった。これは父親の理解がないことにも一因があったが、自分の積極性の無さにも一つの原因があった。
ある日、街を歩いているとスピーカーから声が流れてきた。
「間もなくこの大地が海の底に沈みます」「みなさん、宇宙港へ集まって下さい」「徒歩で港に到着できるまでの時間的余裕は充分にありますので、落着いて我々の支持に従って下さい」
あまりにも突然のことであったので、誰も何の準備もしていなかった。私は港まで道を知らなかった。心配になって側にいる人に聞いた。
「こっちの方だよ」「みんな港に向かっているから、ついて行けば必ず辿り着けるよ」
もっともなことだと思い、そのまま皆についていった。人が多くなるとともに、だんだんと進み方がおそくなってきた。道端で長い間順番を待っているような気がした。
ゆっくりと十数段の階段を上がると視界が開けた。そこは見渡すかぎり水平に整地されている土地であった。
係員達がロープを張って皆を静止させているその前方に非常に大きな楕円形をした船が空から静かに降りてきた。
船が地面に接地して搭乗口が開くとロープが下ろされた。全員船に向かって歩み始めた。どの顔も感情がないように無表情であった。皆行儀よく船に乗り込んだ。
この港での係員を含めた全員の収容を確認すると船は浮きだした。窓から地面がゆっくりと下がっていくのが見えた。街の全容が見えるようになると、それがしだいに小さくなっていった。かなりの高さになったとき窓の下では大地が震え、海水が泡立っていた。周囲にどよめき声が起こった。落胆のあまり床に倒れ込む人もいた。誰も皆呆然として喋ろうとする者はいなかった。
私は床に仰向けになって寝転んだ。落着いて船内に目をやると、明るい照明で美しいロビーのような船室が照らしだされていた。隣にいる人に話しかけた。
「これだけもの凄い技術があれば、だいじょうぶだね」
「それが、そうとも言えないかも‥」「素人考えで言うのだけれど、母国が沈んでしまうと、この船も長いこと飛んでいられないかもしれない」
「最後の航海か‥」
二人ともこれ以上言えなかった。この予測が当たらないことを祈るばかりであった。
船は今の北アフリカのあたりに着いた。何機もの船が到着していた。多くの人達が再会を祝っていた。両親の姿が見えた。別の船に乗っていたらしい。私は急いで両親のいるところへ駆け寄った。
「ご無事だと思っていました」
「馬鹿者!」「母さんを置いたまま逃げるとは何事だ!」
「でもあの時は、どうしようも‥」
「全く、どしようもないやつだ!」「私達はこれから北の方へ行くことになっているからな!」
「しっかりしろよ!」
「私は一緒にはまいりません」
母はそれを聞いて泣きだした。
「自分は東に向かいます」「長い間お世話になりました」
私はこう言うと人込みの中に入っていった。
港の建物の中では大きな人垣が沢山できていて、これから何をすべきなのか、あちらこちらで話し合っていた。人々はそれぞれに首をつっこんでは熱心に意見を聞き、自分達自身が納得して同行できるグループを一生懸命になってさがしていた。同じ意見を持つグループ同士が一つにくっついたり、似たグループ同士が意見を調整し合ったりしながら、大きなグループにまとまっていった。その中でもいちばん大きなグループでは、発案者らしき人が次のように言っていた。
「ここから東の方に、大きな河を中心とした広大で肥沃な土地がある」「我々はそこに行って偉大な文明を再興しよう」「そこには、まだ少数の民族しか住んでいないから、我々との衝突はおこらないものと思う」「今回のこの苦汁を二度と味わうことのないように、我々の英知を子々孫々までも伝えていこうではないか!」
そのグループの中で喚声が上がった。
私は文明の再興には興味が無かった。ただ東の方に行きたいという思いだけがあった。建物の外に出てみると、数人の男女が集まっていた。そのうちの一人が私に話しかけてきた。
「どちらに行かれるつもりなんですか?」
「ただ東に行きたいだけなのですが」
「それでは私達と同じですね」
「東に行くのでしたら、偉大な文明を再興しようとか言って東に向かう大きなグループがありましたが‥」
「いえ、あれは、私達の考え方とは少し違っているのです」「あなたと同じに東に行きたいだけなのです」「東に行けば、心のやすらぎが得られるような気がして‥」「別にあのような大層な目的は持っていません」「いっしょに行きましょう」
「私達に必要な水や食糧それに移動用の車ももらえるよう手配しておきました」
建物の中から車が出てきた。この車を運転してきた人が言った。
「東に向かう人達がこれから船に乗って行くって言っていますが、皆さんも一緒に乗っていった方がいいんじゃないかと思いますが‥」
「いいんです」「私達、方向は同じでも違いますから」
一人の女性がこう答えた。
「違うところへ行かれるとおっしゃるのならば、無理にとは言えませんが‥」「場所によっては食糧がもつかどうか心配なものですので‥」
「有難うございます」
その車は前方の真中に運転席があって、後ろの仕切りの中央の扉から後方の客室に移動できるようになっていた。客席には中央の通路の両側にそれぞれ前向きの一人用の座席が並んでいた。そして水と食糧が積み込んであった。
管理人の所感
序章のような感じで特に所感はありませんが、いつも細かいことなど本当によく覚えているものだと感心します。
そしていつも大胆な行動にも驚かされます。
この前生は次回へと続きます。
Art by Yuki Shougaki