おもいで(その11)

今回の「おもいで」は、今から何千年か前のことであると思いますが、正確な年代は分かりません。この話は更に次回に続きます。(志摩川)

 

 私は富豪の商人の家の娘として生まれた。その頃のその地方の一般民衆は特に建物としての固定した家は持つ人は少なく、テントの中で生活をしている人が多かった。暗い建物の中よりもテントの幕の下にいる方がはるかに衛生的で健康的でもあった。我が家もテント張りの生活ではあったが、しっかりとした柱に丈夫な布を張っていたので雨や風にも少しもびくともせず、たとえ暴風雨となっても心配は無かった。
 私は二人娘のうちの姉の方であった。小さい頃はまだ外の世界も知らず、自分達に与えられた部屋の中で妹と仲良く暮らしていた。部屋には立派なベッドが二つ並べられていて、その上には美しい柄の布団が敷かれていた。ときどきお父さんが私達に会いにきた。そしていろいろと珍しいおみやげを持ってきてくれた。そのおみやげの中に特に気にいったかわいい玩具があって、それを自分のべッドの脇にある棚に置いて、横になりながらよくながめていたものであった。私は幸せそのものであって、不安なことといえば嵐のときにテントに吹きつける暴風雨の音を聞いているときぐらいなものであった。

 外の世界に対する好奇心が先に出てきたのは妹の方であった。父親からは部屋の外に出ないよう堅く言われていたので、部屋の外のことまでは考えたことがなかったが、妹が部屋の外の様子を話しながらはしゃぐ姿を見て自分も覗いてみる気になった。テントはかなりの広さにわたって張られているようであって、その端の方まではよく見えなかった。目の前には豪華な応接セットのような椅子や家具類がたくさん並べられていた。私は柔らかい長椅子のうえにのっかり妹とふざけあったりして遊んだ。父親の姿が見えたとき、二人とも怒られるのではないかと思って急に静かになった。
「もう部屋の外で遊びたくなるような歳になったか」「大きくなったなあ」
父親はこう言ってニコニコしながら二人を抱きあげた。


「そうか、いろいろと知っておかねばならないこともあるし」「世の中のことに関しても、見聞を広めておいた方が良いこともあるだろうな」「部屋から出ないように言っておいた父さんが悪かった」「だがな、まだ何もわからないうちにテントの外には出るんじゃないぞ」「良い人もいれば、悪い人もいる」「馴されて取り返しのつかないことにでもなったら大変だからな」「自分で判断できるようになるまで待つんだぞ」

 父親は早速私達二人に女性の家庭教師をつけてくれた。彼女は毎日いろいろなことを優しく楽しく教えてくれた。私は自分の知識が日毎に増えていくのが嬉しく、勉強の時間がとても待ち遠しかった。ことに地理の勉強が好きで、話を聞いているだけで世界旅行をしているような気分になった。大陸の東の方にあり広い国土を持ち大勢の人間が住んでいるという東洋の国々について教わってからというもの、その東洋の独自の文化性にたいへん興味がわいてくるようになった。

Art by Shimagawa
Art by Shimagawa

 とくにさらにその東の方に心が引きつけられた。そこにはとても素晴らしい国があるような気がした。絶対にあるに違いないと思った。その東の果てに想いを馳せると何故か懐かしいような気持ちがわいてきて、自分の胸が自然にときめいてくるのがわかった。その懐かしさは遠い過去からのものかもっと先の未来からのものかはよくわからなかった。東洋に関しての偏見がもとで伝えられている誤った知識を少しでも教えられると、いつもそれに対してむきになって反発した。
 私は父親に自分の感じたことを伝えた。
「まだ誰も知らないけど、東の果てのところにとても素晴らしい国があるのよ」「そこは本当に平和なところなの」「世界の誰もがそれから学ばなければいけないわ、幸せになるために」
「それはあの先生がそう言ったのか?」
「いいえ」「私が勝手にそう思ったの」「本当よ」「私も世界を旅行して東の国に行ってみたい」

「おまえはまだ知らないだろうが、東洋はとっても野蛮なところだ」「父さんとここで暮らした方がよっぽど平和で幸せだろう」「それに女が旅行したいだなんて思うんじゃない」「世の中ってものは気を許すとどうなるかわかったもんじゃない」「ここにいた方が一番安全だぞ」
父にこのようなことを言ってからその先生は東洋に関することはもちろん地理の勉強は一切教えてくれなくなった。そしてその理由を聞いてもただ黙っているだけであった。
 その女性教師の授業が終了してしまうと他にすることも特に無く、私達は自分達の知らないテントの外の世界がどうなっているのか気になりだした。テントの外のことはもちろん自分達が住んでいるこの広いテントの下に他にいったい何があるのかほとんど知らなかった。こういうことはいつも妹の方が行動にのりだすのが早く、まずテントの中からあちこち探検をはじめていた。父親からは指定された以外の場所への行動は禁じられていたが、止められれば止められるほど興味が募っていった。
 私達の部屋はテントの中心近くにあるように思えた。壁で仕切られているところは他には無く、一つの部屋らしくなっているのは自分達がいつもいるところだけであった。そして調度品などが整えられて綺麗に飾られているのは自分達の使っている部屋とその回りだけであった。他のところは道具のようなものが雑然と置かれていた。それを見ても何に使用するのかは全くわからなかった。

 テントの端の方では大勢の男の人達が腰を下ろしていた。後に彼等は父に働かされているということがわかった。彼等の表情はどちらかというと暗く元気もあまり無さそうであった。彼等と目が合って私がびっくりしながら彼等に頭を下げると、中にいるお爺さんがにこやかに同じように頭を下げて挨拶してくれた。
 風雨の強い日に彼等のことが心配になり様子を見にいった。彼等はあのときとまるっきり同じ場所に座り込んでいた。テントの端が少し地面から離れているので、そこから入ってくる強風が彼等にまともに吹きつけ雨で全身びしょびしょに濡れていた。
「身体がびしょびしょじゃない…」「もっと奥に入ったら?」「こんなところにいると病気になってしまうわよ」
「それが旦那様の堅いお言いつけで…」「旦那様のお許しがないとここから動くことができません」
彼等は動こうともしなかった。
「じゃあ、私が父に言ってきます」
 私は必死になって父をさがしだした。

Art by Shimagawa
Art by Shimagawa

「お父さま、テントの端にいる人達が雨でびしょびしょに濡れています」「あれじゃあ病気になってしまいます」「雨や風のあたらないところまで入れてあげてください!」
「だめだ!」「あいつらを中に入れるわけにはいかない」「あいつらもそれをよく心得ているはずだが‥」「誰かそのように言えとおまえに言ったのか?」
「そんなことは誰も言いません!」「あの人達をあの状態のままにしておくことを黙って見てはいられないんです」
「あいつらはただの奴隷だ」「人間と思うな」「それともあいつらを可哀相とでも思っているのか?」
「可哀相だなんてあの人達に失礼です!」「もうお父さまには頼みません!」「あの人達を奥に入れるまで私もあの人達のところにいます」
 私は彼等のところまで走っていった。そしてこの前挨拶をしてくれたあのお爺さんの横に座った。父がすぐやって来た。
「自分一人だけというならここから絶対に動きません」
私は父に何を言われようとも挺子でも動かなかった。父は私を力付くで引っ張っていくようなことはしなかった。
「しようがないな」「今回だけだぞ!」
 父は彼等に奥に入るように命令した。彼等のほっとしたような顔を見るのはこれが初めてであった。彼等は笑顔でそれぞれ私にお礼を言って奥の方へ歩いて入った。父は私にはそれ以上何も言わず、中に入るように手で合図をした。このことがあってから父は私にはうるさいことを言わなくなった。
 また嵐が来た。彼等がどうしているのか心配になって、様子をうかがいに行った。やはり前回のときと同様に彼等はテントの隙間から吹き込む雨と風にうたれていた。私はあのお爺さんに話しかけた。

「身体がびしょびしょに濡れているわ」「もっと中に入りましょう」
「お言葉は有難いのですが、それはできません」
「この前は奥に入ったじゃないですか」
「よく分際をわきまえておくようにとの旦那様からのきついお達示があります」「それにこの前の中に入れていただけたのは本当に特別のことだったんです」「お嬢様には感謝しております」「でもやはりこれ以上奥へ行くことはできません」
「病気になったらたいへんです」「あなた達の身体のことが心配なんです」「どうか中に入っていただけませんか?」
「私供はこういうことにはいつも慣れていますから大丈夫です」「どうか心配なさらないで下さい」
 手を取って中に引き入れようとすると、お爺さんはとつぜん怯えたように身体が震えてきた。
「どうしてもお入りいただけないのですね」
 お爺さんは声を出さずにうなずいた。
「それでは父の娘である私が命令します」「中へお入りなさい」「私が全ての責任をとります」「といっても父からの命令でないのでひじょうに心細く感じられてることと思います」「私は父が来るまであなた達のそばにいます」「そして父が来たらすぐに事の次第を説明します」
 彼等はこれを聞いてびっくりしていた。聞きとれないほどの小さな声でひそひそ話をはじめたが、それが終わると全員が私の目を見た。
「一緒に中へ行きましょう」
 彼等は周囲の様子をうかがうようにしながらゆっくりと奥に移動をしはじめた。私は彼等が怖がるようなことが起こらないことを祈り、全員が無事に奥に移動し終えるまで周囲に気を配った。そして彼等は私に対する信頼感だけをたよりに行動していたので、それを絶対に崩すことの無いよう自分の態度には充分すぎるほど気をつけた。そして父が来るまでの間私は彼等のそばにじっと座っていた。父が近づいて来た。私は緊張して胸がどきどきしていたが、気力をふりしぼって父の前に立った。
「私が彼等に奥に入るよう命令しました」「これからも嵐が来るような場合にはこのようにいたします」
 父は私の言葉を聞くと黙って戻っていった。彼等はもう雨風にあたらなくてすむようになった。当時の社会の一般常識からみるととても奇妙な形態の主従関係がこの家で始まった。

管理人の所感

 私たちが地球に生れてきた理由は何でしょうか?
 一回きりの人生で、一回きり楽しむためだけに生れて来たのでしょうか?

 たった80年の人生を生き通すためだけに生きているのなら、この人生にはどれだけの意味があるのでしょうか。

 

 世界中で毎日、殺人事件が起きています。恨みをかって殺されたり、偶然にテロにあって命を落としたり、男に弄ばれて若い命を閉じたり、冤罪にあって人生の大部分を留置所で凄して寂しく死んでいく人も数多くいることでしょう。

 

 または若いころから難病の人生で病と闘い続けて苦しんでいる人もいれば、親の財産で苦労もなく優雅な人生を満喫している人もいます。
 宇宙は、こういう不公平な人々の人生を何故許しているのでしょうか?

 

 私たち一人ひとりの人生の歴史の中でも、楽しいときもあれば悲しいときもあります。

 小学校に入って環境が変わり(生まれ変わり)、転勤で生まれ変わり、転職で生まれ変わり、失業で生まれ変わり、親を亡くして生まれ変わり、子供を亡くして生まれ変わり、子を得て生まれ変わり、恋人ができて生まれ変わり、恋人に振られて生まれ変わり・・・

 私たちの心はそんな人生の節々を経験して環境を変えますが、魂は肉体を失ったときに環境を変えています。
 心は生まれ変わりごとに作り替えられ、マインドは記憶を失って性癖の一部を受け継ぎ、新たな遺伝子の新しい意識構造と合流して現在意識を確立していきます。

 

 純粋な意識である魂はすべてをお見通しです。

 意識が洗練されて研ぎ澄まされていけば、その魂のレベルで本当の私とは肉体がすべてではなくて、永遠と繋いで学んできた魂の歴史の中に、人生の本質はあるものだと気が付いて行くのです。

Art by Y.Shogaki
Art by Y.Shogaki

 「おもいで」の中で今回、志摩川さんは初めて女性として性を受けました。

 純粋な意識としての魂は個性を持ちませんので、もちろん男女の性別はありません。しかし女性の肉体を着た志摩川さんの意識が女性としての性格となるのは、女性の遺伝子を受けついているからです。遺伝子によって性格が或る程度設定されていることは現代科学では解明されています。

 血液型によって性格がある程度方向づけられるのも遺伝子なのです。 

 

 しかしそうは言っても、いつの世でもこの論理に当てはまらずに、同姓に対して特別の好意(エロスの愛)を抱いてしまう人がいます。そして多くの人が同性愛に対して嫌悪感をいだしています。キリスト教では同性愛は罪であり神を冒涜するものとして同性愛は否定され、コリント6章9節では、同性愛の行為をする者は神の国を 相続することができないと宣言しています。
 特にサウジアラビアやイランなど中東では厳格に罰せられる国が多くあります。

 

 しかしこれは生まれつきのことです。麻薬を嗜好したというのとは異なりす。何の罪もありません。どうしてこういうことが起きるのでしょうか?

 たとえば、魂が男に生まれ続けていたら、男の意識をマインドに塗り重ねて行きます。こういう魂が男性の心に男性の遺伝子と男性として積み重ねてきた意識を着たら、さぞや男らしい人として称賛されるでしょう。

 しかし男に生まれ続けていた魂が女性の肉体を着たら、魂としては中性であっても、心に着る意識体は男性色の濃いものであり、彼女のエロスの愛は女性に向けたものとなるでしょう。どうしてこのようなバランスを壊すのかの本質は私には分かりませんが、いずれも自分が意識的に選んだものではなくて、神と魂の合意事項と考えることができます。

 

 この物語の雇主と奴隷もそうですが、あらゆる公平・不公平の意味において、一つの人生だけではなくて生き通しの魂の永遠の人生の物語の中で、様々な役を演じているに過ぎないのです。

 常に言ってきていることですが、私たちはその魂の人生劇のプロデューサー、監督、脚本家、演出者との意識を一体として、その幻想としての物語を演じながら学ばなければなりません。

 心を洗って、魂を磨いて。

 

 不公平と思うのは私たちの尺度(個の立場)で個々を比較して不公平があると決めつけているからなのですが、宇宙から観れば、不公平という概念は存在していません。

 私たちはひとり残らず自分で自分の人生を創りだしていて、自分が「自分の宇宙」の創造主として自分だけの人生を歩んでいます。そして真の神となるために、創造の枠を自分から全体へと広げて行くのです。

 

 そしてまた問いましょう。  

 私たちは何のために生れて来たのですか?