今回の話は昭和初期の頃のもので、おそらく死後に有名になった誰もが知っている人の肉体と繋がって生きた経験です。
これは次回に続きます。「おもいで〈その四〉」から直接続くものです。(管理人)
お世話になってきた人達への挨拶を終えると、私は案内役の方の横にならんで歩きだした。まだまわりには美しい草原が広がっているのが見えていた。
「ところで今度はどこに生まれることになるのですか」
「日本という国だ」
「えっ!」「あの敵国の‥」「無抵抗の男の首を撥ね、私をまっぶたつにした‥」「あの野蛮な国に‥ですか?」
「そうだ」
「なんでまた、そんなところに‥」
「それが絶対に必要なことなんだ」「来るべきときにそなえて‥」「この国独特の考え方でしか理解できないこともあるのだが」
「日本という国じゃないとだめなのですか?」
「そうだ」
「でも、あまり気が進まないのですが‥」
「だめだ」「行かねばならぬ」
「そこで、私は何を‥」
「軍人だ」
「敵国の、しかも軍人ですか‥」
「そうだ」
「ほかに道はないわけですね」
「そうだ」「それは必要なことで以前から決まっていたことだ」「おまえの本体はとっくっから知っていたことだがな‥」
「わかりました」「ご指示に従います」
何のことを言っているのかよくわからなかったが、渋々それに従うことにした。
「だが、その前にひとつ経験をしておかねばならないことがある」
「なんですか」
「ある男の身体の中に入って、その男と共に生きていかなければならない」
「共同生活ということですか」
「主体となるのはあくまでもその男であるが、お互いに微妙に影響しあって生きていくのだ」「おまえもその男も、同じその男の身体の中にいるのだが、その身体で行動を起こすことができるのはその男だけである」「ただし、その男の身体の中にいながらも、おまえは自分の意思・思考というものを独立してもつことができる」
「それも日本の国内のような気がするのですが‥」
「そうだ」
私は案内されるとおりについていった。小さい古びた木造の校舎のようなところに連れていかれた。その建物の中はがらんとしていて、部屋の隅には粗末な農機具や木の長机、長椅子などが寂しく置かれていた。過去この建物が農作業の講習会などに利用されてきたことが容易に想像できた。部屋の片隅で一人の男が元気なさそうに腰を下ろし、壁に寄りかかっていた。手には苗木を持っていた。彼の身体に入るときに、一瞬、この国独特の重苦しさ、堅苦しさが覆いかぶさってくるような感じを受けた。そしてその重苦しいものが自分の身体の中に染み込んできた。そしてそこはとても冷えるところであった。手足の先から寒さがじんじんと伝わってきた。
彼の考えていることが、直接自分の心に伝わってきた。彼は農家の若者たちを集めて彼等らの農業技術の習得に力を入れてきた。彼は生産効率を上昇させることにより、少しでも農家の人達の心に余裕ができるようになればといつも考えていた。いくら人間の生きるべき道を口説いたとしても、相手の心にそれを受け入れるだけの余裕がなければ、聞き入れてくれないことがよくわかっているからであった。
だが、彼は過去何度もその期待を裏切られていた。生産量が増えてお金の入りが多くなると、ほとんどの者達は彼のもとから離れていった。彼等の中で、力の無い者を救おうという気持ちの出る者はほとんどいなかった。協力しようという気持ちも起きなかったようであった。経済力がある程度つくと、弱者を蔑視(べっし)し嘲笑した。そして人の心を踏み躙(にじ)って立ち去った。
彼はそれでも人の可能性を信じていた。彼はあまりにも優しすぎる人であった。手に持った苗を見ながら、品種の改良を夢見ていた。そして離れていった人達の心がいつか彼のもとに戻ってくることを、心から願っていた。
寒さが身にしみてきた。土間にストーブがあったが、彼には積極的にそれを使おうとする気持ちはなかった。彼はいつも他人のことばかりを気遣っていた。彼は以前から身体を弱めていたようで、その苦しさと周囲の寒さが私をおそってきた。私はそれが辛くてしようがなかった。でもその辛さから逃れることはできなかった。
彼の心は常に世界の最先端の先の先を観ていた。この世界はある世界のひとつの断面、ある情報量をもったひとつの影の世界、投影された世界であることを知っていた。
この世界の仕組は一見確定された不動のもののように見えるが、実は不確定の要素を多分に含んでいる粘性のある世界であることがわかっていた。そして振動数を微妙に変化させることで、個人とこの世界との関係において互いに霧のように消えることも可能であることを、またこれによって別の世界を認識できることも、あるいはその別の世界への移動でさえも意思によって可能であることもわかっていた。
この世界が稀薄な空間であることも。この世界が霞のような『ない』に等しい世界であることもわかっていた。また、ひとつの事柄も、見る場所、見る方向、観測点、見方、観測者の思念、先入観、固定観念などによって違うように観測、認識、理解されることを知っていた。
そしてこの世界を含むすべての世界は、ある崇高な目的に添って偉大な愛の力によって動かされていることを知っていた。全てのものは不変の愛の宇宙法則によって守られて動いていることも知っていた。
彼はこれらのすべてを若いうちに得ていた。これは彼が真剣に求め続けてきた結果として得られたものであった。彼が心で理解したものは、後世の科学者によって提示される宇宙法則をはるかに越えていた。そしてそれを世間に発表したとしても、それを受け入れるだけの受け皿は、まだ人々の心の中には準備されていなかった。しかし彼はこの宇宙法則を心と頭で理解しただけではなかった。彼は彼自身をその宇宙法則に同化させた。つまり彼の意思が宇宙法則そのものとなっていた。
彼はものごとの判断をするときにはいつも、一つの視点からだけ見てそれをすることは絶対にしないように常に心を配っていた。人に裏切られ罵られようとも、それを表面的な感情で見ることはしなかった。その人の心の奥にあるその原因を心の目で見られるように心掛けた。そしてその相手の心に直接的に働きかけるには、その原因となるものを取り除けるように祈ることぐらいしか他にできることがなかった。彼はいつも自分の無力さを痛感していた。
彼は今まで自分が書き記してきた文章で、自分の伝えたいと思っていることが人々の心に充分に正確に伝わってくれるかどうかをひたすら心配していた。だが心配してもどうにもならないことは分かっていた。その愛の宇宙法則にのっとって祈るしか他に方法がないことは、彼にとってはよく承知していることだった。
彼はあまりにも純粋で優しすぎる人であった。他人のためになることをするときには、自分の身体のことなどは全く気にもなっていなかった。そしてその人達に心配をかけないように、わざと元気に振る舞っていた。彼は自分の先のことは全然心配をしていなかった。それは彼が生命は永遠であるということを知っていて、さらにそれを心から確信していたからであった。彼は人々が愛の宇宙法則によって守られているという事実に早く気がついてほしいと切に願っていた。
一人の女性が彼を訪ねてきた。若く美しい人であった。彼女が彼を好きになって会いにきたことを彼は知っていた。彼女は人妻のようであった。部屋の窓の外側の廊下に立って、彼から声をかけられるのをまっていた。
彼は悲しかった。彼は彼女にとって何がいちばん必要なのかを考えていた。彼のいる世界は、彼女がいる世界とはまったく違うところにあった。彼女を無理矢理に彼の世界に引き込むことは、彼女が不幸に陥ることにつながってしまうと、彼自身よくわかっていた。彼は彼女を無視して下を見ていた。それが、彼の彼女に対する心からの優しさと至上の愛から出たものであった。彼女は諦めたのか、いつのまにか姿を消していた。
たまに、昔の教え子らしい人が彼の所にやってきた。
「先生、お身体大事にしていますか」「先生は以前から病気がちだったんですから、栄養をつけて元気になっていただかないと困りますよ」「お身体をあたためないと‥」
そう言うと外から薪となる木をかき集めてきてストーブにくべた。そして持ってきた野菜を鍋で煮込んでスープを作った。彼は教え子の作った具のたくさん入ったスープを感謝しながら食べた。
でも彼はこの豪華な食事も一時的なもので、すぐに木や草の根をかじるいつもの生活に戻ることは充分承知していた。そしてそれに戻るときがいちばん苦しいことをよく知っていた。彼は自分の胃腸の心配は二の次にして、教え子の作ったスープを感謝して食べることに全意識を集中した。彼は優しさと愛とをもってそのスープをよく噛み締めた。彼は誰に対してでも常に優しさと愛とで接した。その彼の優しさと愛は、いつも彼としてできるそのときの最高のものであった。
その教え子が帰るとその建物にいつもの静寂さが戻ってきた。彼は作ってくれたスープを無駄にしないように毎日少しずつ口にいれた。いつもの木や草の根をかじる生活に戻すために、食べる量を段々と減らしていった。その生活に戻り始めた頃、強烈な空腹感におそわれた。彼は腹に手を当てたまま床に転がって、その苦しみをじっと耐えた。
彼はひじょうに大事なことを世間の人々に気がついてほしいと思っていた。彼は今までその実現のために、でき得るかぎりのいろいろな活動をしてきたつもりであった。だが彼の本当に伝えたいと思っていることに気づいてくれた人には未だに会ったことがなく、自信を半分失いかけていたようであった。彼はいつも自分の事よりも他人の事の方を優先して心配していた。そのためか、いつのまにか彼の身体はかなり衰弱し、動くことさえも辛くなっていた。
彼はもう自分の命がそう長くはないものと思っていた。彼はある文を書いて、自分の鞄の中に入れた。こうすれば、彼の死後しばらくたって少し落ち着いたころに、誰かが鞄の中から見つけ出してこれを読んでくれるものと思っていた。
彼がぐったりとして倒れていると、数人の人達がきて彼の身体を抱きかかえるようにして連れて行った。彼はある民家の一部屋の布団の中に寝かされた。そして、医師が入ってきて彼の身体を診察した。治療の効果があったのか彼の体力は少しずつ回復していったかのように見えた。
しかし彼は家族に見守られてこの世を離れた。彼の一生は彼にとって幸せそのものであったと私には思われた。葬儀が終わって一段落ついたころ、彼の持ち物の整理が行われていた。彼の荷物の中に奇怪な墨絵があった。ひじょうに気持ちの悪い絵であった。それが何枚も大量にしまわれていた。気味は悪いが、絵心のある、見る人を感動させる力のある素晴らしい絵であった。年配の人がそれを数枚庭に出して火をつけた。もったいないことをするものだと思った。それを止めさせたかったが、私にはどうすることもできなかった。
悪霊というのか、恐ろしい姿、形相をした救われていない霊たちがそこに描かれていた。その迫力には鬼気迫るものがあった。彼にはそれらが目に見えていたのであった。霊界の奥の奥まで彼にはわかっていたのであった。彼は今生きている人達がこれ以上地獄に落ちていってほしくなかった。地獄の苦しみを味わうような生活をしてほしくなかったのだ。できることならばその恐ろしい絵を誰にも見せたくはなかったが、最後の最後の手段としてその絵を温存しておいたのであった。
私は何か役に立つことができないだろうかと思った。せめてこれらのことだけでも、この世の人達に伝えることができれば‥そして私が今まで体験してきたことも皆に知らせることができれば‥求め始めた人達に何か役に立つことができるのではないか‥と考えた。それをそのときにはっきりと思い出せるかどうかはわからないが、是非ともできれば‥とその思いを心に刻み付けた。そのとき今まで共にいた彼と心が通じあったような気がした。
管理人の所感
志摩川さんは謙虚な人なので、合体した人が誰かということは書いていませんので、私が勝手に書けませんが、ほとんどの人は想像がつくことでしょう。
宇宙法則を理解した優しい人の中に入って心と魂の波動を共有することの学びの経験でした。