前回の話の続きです。今から数千年ぐらい前、大きな島が海中に沈むとき、浮遊船で脱出。北アフリカに着陸し、東に進んでエジプトを通過し、それから‥
我々は東に向かって移動を開始した。この車は砂地でも荒地でも大抵のところは自由に動きまわることができた。出だしは快調であった。
休憩中にある二人がこんな話をしていた。
「二本の鉄のレールの上を動くあれ」
「鉄道のことかな‥」
「ああ」「それが走るようになったら、すごいぞ」「こんな苦労をすることもないし」「誰かその技術者、いないかな」
私は、最初に言っていたこととえらく違うことを言うものだなと思った。私がそれに口をはさんだ。
「電車のことかい?」
「知ってるのかい」「そりゃあ、いい」
「興味の範囲内でしか知らないけど」
「それを、作れば‥」
一人が私の目を食い人るように見ながら言った。
「そうだ、そうしよう!」
「でも、その材料をどうやって手に入れるんだい?」
「今の私達には、鉄だって作ることができないし‥」
「精練できたとしても、あの精密な部品をどうやって‥」
私がこう言うと、その二人は黙り込んだ。私はこのような余計なことを言わなければよかったと思ったが、すでに彼等は気落ちして元気が無くなっていた。私はそれがいくら事実であったとしても、他人の希望や気力を殺ぐようなことのない心のこもった会話をするように気をつけることにした。
ある日、一人の女性に名字を聞かれた。私が自分のフルネームを教えると、その女性は驚いて次のように言った。
「もしかしたら、あなたのお父様は…」
彼女は父の名を知っていた。
「すごい!」「あの名門の‥」
私には何がすごいのか、彼女が何に感激しているのか全く理解できなかった。そして名門とかいう意識も持ったことがなかっ
た。一人で寝転がっていると、私のまわりに全員が集まってきた。
「ぜひ、私達のリーダーになってください!」
「何で、私が‥」「私には、そんな素質は全くありませんが」
「いえ、そんなことはありません」
「本当に‥」「そういうことを経験したことが全然ありませんし」「それに、何をしたらよいのか皆目見当がつかないのですが」
「いえ、あなたなら大丈夫です」
「どうして、私が?」「私なんかよりも、もっと他に適した人がいるはずです」
「ぜひ、お願いします」「あなたに従わせて下さい」「リーダーが欲しいんです」「あなたには充分その資格があります」
何回断っても、諦めてはくれなかった。それに私になぜその資格があると言うのか、その発想の根拠がどこにあるのか全く理解できなかった。リーダーになれるだけの自信はなかったが、それを渋々承諾することになった。しかし彼等は単に綺麗事を言っているだけであって、自分の力で具体的に何もできないというよりも、自分の行動に責任を持つことができない、あるいは自己の責任から逃避しようとしている人達であることが次第にわかってきた。
自分の目に映る彼等の姿を自分自身の姿と置き換えてみて、自分を何度もふりかえってみた。
車の燃料もなくなり、全員砂の上を歩いて進むことになった。食糧は底をつき、水も残り少なくなった。水を飲む時間と量を厳しく制限をした。何日か過ぎたころ、一人の男性が仰向けになって叫んだ。
「水をくれ!」「水がないともう動けない!」
その姿は、まるで目の前で小さい子供が駄々をこねて泣いているかのように見えた。彼は人の手が触れると、身体をばたばた動かした。全く始末におえなかった。
「こんな奴、置いていこう‥」
誰かが言った。とはいうものの、実際に置き去りにしていくわけにもいかず、全員との約束を破ってまでしてこんなに元気がある人に必要以上に水をやるわけにもいかない。かといって、彼に振り回されたままここにとどまっているわけにもいかない。残りの全員が、私がこれからどう行動するかに注目した。仕方がなく、少しだけ飲ませるつもりで彼に水筒を渡した。彼ががぶがぶ飲みはじめたので、すぐに水を取りあげた。私は責任を感じてその分だけの水は飲まないと心に決めた。他の者達全
員は不満の態度を表した。それからというもの彼等の視線は私をさけるようになった。
ある日、水の時間に女性に水をすすめられた。
「どうぞ」
「いいんだ」
「どうして?」
「あれ以来、彼が飲んだ分、飲まないことにしているんだ」
「あれから全然?」
「ああ」
「でも、身体にわるいわ」「そこまで、しなくても」
「いいんだ」
「彼の分まで責任を被ることはないわ」「あなたにも飲む権利があるわ」「飲んでいいのよ」
「僕は、権利とか言ってそういうのを主張するのは大嫌いなんだ」
「でも、そこまでしているってことをみんなが知れば、必ずわかってくれるわ」
「綺麗事を並べるのもいやでね」「黙っててほしいんだ‥」「いつまでもつか頑張ってみるから」
「もう‥」「無理しないでね」
歩いているうちにだんだんと気が遠くなってきた。意識がうっすらと戻ってきたとき、誰かが湿った布で私の顔を拭いているのがわかった。遠くから男の声が聞こえた。
「しようがねえなあ、こいつまで‥」
「何言ってんのよ!」「この人は、あのときから一滴も水を飲んでいないのよ!」
耳元の声はあの女性のものだとわかった。彼女は私の頭を起こして口に水を注いだ。私は必要な分だけ飲むと、それを手で押し戻した。生き返ったような気がした。
それ以来、みんなの私に対する態度が変わって馬鹿丁寧になった。
彼等は表面上に現れたことだけにしか考えがまわらないようであったが、別に彼等のことを嫌いにはならなかった。ただ自分はこうならないように気をつけたいものだと思った。
水も殆ど残りが無くなり、我々ももうこれでお終いかと思った。
そのとき、一人の男性が目の前に現れた。彼の姿、身なりを見ると、故郷を同じくする我々の仲間のように思えた。
「ここで、待ってて下さい」「いま助けを呼んで来ます」
我々はそこに横になって救援を待った。全員担架で運ばれた。医療機器の整った車であった。車窓の景色がものすごい速さで動いているのが見えた。
「有難う」
「早く気がついてよかったですね」「もう安心して下さい」
病院のようなところへ移された。病院といっても仮設のテント張りであったが、最新の医療用設備は充分に整っていた。
身体が回復すると、そこでいろいろな説明を受けた。やはり彼等は我々と母国を同じくする仲間であった。彼等は目的地であるここに浮遊船で先に移動してきていた。そして偉大な英知を子孫に残し、文明を再興するという目的で、様々な事業を開始していた。
目の前では、広大な土地を整地して大掛かりな測量を行なっていた。何か大きなことを始めるとか言っている彼等の目は輝き顔は生き生きとしていた。
誰かが私の名前を聞き付けてやってきた。
「あの、あなたのお父様があなたをお捜しとの連絡が入っているのですが」「至急ご連絡をお願いします」
「あっ」「どうもすみません」
「ご連絡されるのでしたら、まだ回線が繋がりますが」
「有難う」「でも、いいんです」
「いつでも、おっしゃって下さい」
私は頭を下げた。
一緒にここまで来た仲間達が集まった。
「リーダー」「これからどうするのですか」
「僕はもうリーダーじゃないよ」「ここに着いた時点で、もうその役目は終わっているんだよ」
「でも‥」
「これからのことは自分達自身で考えた方がいいのではないですか」
「でも、どうしたらいいのかわからないのです」「ここでは、大きな目的をもっていろいろな事業をしている」「それに協力をしてみたらどうですか」
「リーダーは、どうするのですか?」
「僕は皆とは協調性がないし、父親から離れて独立したいからまた東に行くよ」「東の方になぜか心が向かうんだ」
「私達もつれていって下さい」
「僕はただ自分から逃げたいだけなんだ」「君達はここに残って皆と協力して、人のために尽くした方がいいと思うけれど」
「一緒に行かせて下さい」
「いいかい」「僕は自分の我が儘を通そうとしているだけなんだ」「ついて来たとしても、これから先何の保証もできないんだ」「ここまで無事に来られただけでも本当に奇跡なことだ」
「ぜひ、お願いします」
私はわざと急に態度を変えた。
「どうなっても知らないよ」「君達に何が起こったとしても僕は何もしないからね」「一緒に行くんだったら全員自分の責任でもって行動してほしいんだけど」「何が起こっても他人のせいにはしないこと」「私はそこまでかまってられないからね」「そして僕はもうリーダーではないから」
「はい」「よろしくお願いします」
私は彼等が何を考えているのかよくわからなかった。
「僕の進む目的と君達の目的は全く違うんだ」「お互いに干渉しないようにしよう」
「はい」
彼等は自分で考える力が無かった。人当りは良く本当に善人なのだが、それぞれ自分自身に自信がなく、自分の行動に責任を取る力さえも無かった。リーダーというものを祭り上げて、それに従うことで満足感と安心感を得ていた。自分というものを殺してばかりいて、自分を生かすということを知らなかった。
「本当に信じ従うべきものは、自分の中にあるのに」
『でも私も他人のことを言えるような資格は無いし‥』『まあ、考えて見れば同じようなものだ‥』『これも何かの縁だ』『一緒に行ってみよう‥』『何かがあれば、またそのとき考えればいいさ』
私は彼等とともに、東へ向かって出発した。私は一切余計なことを言わないことにした。
彼等は不安になるたびに私に話しかけてきた。
「この先に何があるのかしら?」「もうそろそろ人が住んでいる気配ぐらい、見えてきてもいいのに」
「でも、どんな人達が住んでいるのかしら」「野蛮な人達だったらどうしましょう?」
私は首をかしげるだけで何も口には出さなかった。
「もし攻撃された場合、私達どうなるのかしら?」「私達、武器は何も持っていないし‥」「でもそんなこと起こるわけないわよね」「大丈夫よね?」「ね?」
「さあ」
私は一言だけこう返事をしたが、あとはそのまま黙っていた。
彼等は集まって相談を始めた。真剣な顔をして話し合っていた。その間、私は地面に腰を下ろして身体を休めることにした。そのうちに彼等はあちこちに散らばって何かをさがし始めた。数人が丈夫そうな木の枝をどこからか持ってきた。一人の男が木の枝を振り回しながら元気そうに声を上げた。
「何が起こっても、俺達が絶対に守ってやるからな」
「安心しろ!」
女性達から歓声と拍手が上がった。
「これでこそ、あなたは私達のリーダーよ」
新しいリーダーが決まったところで、再び東への旅が開始されることになった。
その新しいリーダーは調子に乗って得意になっていた。話し方まで偉そうになってきた。私は彼等と付き合っていくことに疲れが見えてきたので、次のように言った。
「僕と君達とは東に行く目的がもともと違っているし、一人で気ままに行きたいから、ここで別れよう」「もっと、のんびり進みたいから」
「そんな勝手なことを言われても困ります」「皆と一緒に行動して下さい」
側にいた女性がこう答えた。
「お互いに干渉しないということで出たのだから‥」「それはお互いに納得済みのはずだけど」
「絶対にだめです」「リーダーに従っていただきます」
私は彼等に完全に無視された。私はわざとゆっくりと歩いて他の方向に進んでみたが、大きな一本道のようで結局は彼等に出会ってしまった。
「自分勝手な行動は慎んで下さい!」「あなた一人のために全員が迷惑してます!」
さっきの女性に言われた。私はしばらくは彼等と行動を共にするしかないと諦めた。
ごつごつとした岩場が見えてきた。その岩場の辺りから誰かに見られているような異様な雰囲気が伝わってきた。
そのリーダーから言葉が発せられた。
「よし」「あそこに登って様子を見てこよう」
「何も危険を冒してまで寄り道することはないと思うけど」「目的は東に進むことじゃなかったんですか」
私がこう言うと、彼は私を睨みつけた。
「俺に逆らうつもりか!」「全員、俺のあとについてこい!」
私は彼等に取り囲まれた。彼等に間に挟まれて半ば強制的にそのリーダーの後ろについていくことになった。私は危険を感じていたので、わざとゆっくりと歩いた。前を歩いている人との距離が少しずつ広がっていった。後ろの女性から急かされたとき、前方の数人が何者かに捕えられその姿がすぐに見えなくなった。それは一瞬のことであった。残された者達は反射的に岩山から走り下りたが、しばらくのあいだ呆然と地面に座り込んでいた。
女性が立ち上がった。
「あの人達を助けないと」
「でも、無理だよ」「どうやって?」
「あの人達を見捨てるつもりなの?」
「でも、僕らには何の武器もないし、素手のままでどうやって?」
「あなたって、ほんとうに冷たい人ね!」
「あんな無茶するからこんなことになったんだよ」
「これ以上まだ犠牲を増やすつもりなのかい?」「あんな岩山に寄ろうとしなければ、こんなことにならずに済んだかもしれないのに」
「それじゃあ、あの人達をこのまま置き去りにしていけとでも言うの?」
「それじゃあ聞くけど、本当に助けられるとでも思っているのかい?」「相手は地の利を得ているプロの武装集団だよ」「それにひきかえ、我々はそのときの感情だけに動かされている頼りない小人数の集団だ」「これでいったい何ができるというの?」
彼女は泣きそうになりながら次のように言った。
「もう、いいです!」「私一人でも行きます!」
「ちょっと待ってよ」
「止めないでよ!」
「みすみす捕まるとわかっているのに放っておくわけにもいかないだろう」
「あなたには関係のないことです」
彼女は岩山に向かって進みだした。残された他の仲間達も彼女についていこうと立ち上がった。
「待って」
私はあまりにも無謀な彼女達を止めようとして、そのあとを追いかけていった。
「好意的な人達と親密になって、救出の応援をお願いするっていう手も考えられるじゃないか」
「そんなこと当てにはなりません!」「仮にそれが可能だとしてもその前にあの人達が先に殺されてしまうかもしれません」
「じゃあ、たとえばあの人達を捕えて殺すような奴等が、僕達だけは助けて見逃してくれる、とでもいうのかい?」
これを聞くと、彼女は私を完全に無視した。私は彼等を必死に止めようとした。しかし気がついたときにはもう岩場まで来ていた。私が戻ろうと思ったとき大勢の人影に囲まれた。
我々は狭いトンネルのようなところを歩かされた。暴れなければ特にひどいことは何もしないので、おとなしく言うとおりに従った。抵抗して取り押えられている者もいたが、それは無駄なことだということがよくわかっていた。男女別々の方向へ連れていかれたが、彼女達がどうなるのかひじょうに心配であった。入れられた部屋には着替えが用意されていて、それを着るようにとの指示があった。それは彼等が身に着けていたのと同じくゆったりとして動きやすそうな衣服であったが、我々に用意されたものはとても美しく神秘的な輝きのある布でできていた。それを着るとすぐにまた別の部屋に丁重に案内された。そこには酒や料理がたくさん並べられていた。
「どうか皆さん、ごゆっくりとおくつろぎ下さい」
主人らしき人がこう挨拶をして、我々に酒と食事をすすめた。久し振りというよりも初めて見るような豪華な御馳走であった。だが食べる気にはとてもなれなかった。
「我々の仲間の女性達はどこにいるのですか?」
彼は笑うだけで、この問には答えなかった。
「そんなことよりも、どうぞお召上がりください」
「そんなこと‥?」
「さ、どうぞどうぞ」
我々は毎日歓待を受けた。私は彼と顔を合わすたびに女性達のことを聞いた。
「何で、女どものことを気になさるのか?」「何か深いわけでも‥」
「彼女達は我々の仲間なんです」
「仲間?」
「ええ、同じなんです!」
「ほうーつ」「男女、はっきりと分けられている方が、お互いのためには良いと思うがなあ‥」「昔からこうなっているから、そういうことまでは考えたことはなかったが‥」
彼は下を向いて考え込んでしまった。
数日後、食事や酒が並べられているいつもの部屋に入ると、女性達が綺麗な衣装を身に纏って座っていた。ここに来てからというもの、女性の姿を見るのは本当に初めてのことであった。その女性達と目が合った。綺麗な衣装を身に纏っていたのは、ここまで共に行動をしてきた彼女達であった。
「大丈夫だった?」
「ええ」
「今までどこにいたんだい?」
「ここの女の人達と一緒のところに」
「心配してたんだよ」
「私達もよ」「また会えるなんて…信じられなかったわ」
「よかったね」
「ええ」
皆で再会を喜びあった。
「いつここから出られるのかしら?」
「さあ」「でも君達のこと聞いたらこうして会わせてくれたのだから、お願いすれば出してくれるんじゃないかな」「彼も思慮深い人のようだから」
「それじゃあ、あなたがお願いしてくれたの?」
「まあ、そういうことになるのかな」
「ここの人達とても親切にしてくれるのに、あなた達のことを聞くと何も答えてくれなかったの」
「どうも習慣の違いらしいよ」
「習慣の違い?」
「うん」
「でも何で毎日こんなに豪華な接待をするのかしら」
「どうしてだろうね」「どこにどんな理由があるのかな」
毎日、毎日、酒と食事の接待が続いたが、いつ出られるのか、出してくれる気があるのかないのか、これに関する反応は全く無かった。
酒におぼれる者が出てきた。もうどうでもいいと思って不貞腐れる者もいた。私はここの主人らしき人に聞いた。
「毎日豪勢なお持て成しをお受けして本当に有難いことですが」「生きる目的が無くなって、自分を見失う者まで出てきてしまいました」「私達をこのようにしているその訳をお聞かせ願えないでしょうか」
彼は私に近づいて小さな声で囁いた。
「あなたがたは私の家の大切なお客人です」「毎日最高のお持て成しをしなくてはなりません」
それにつられて、私も小さい声で問いかけた。
「それを毎日しなくてはならないその理由は?」
「王様の御命令です」
「王様の?」
「はい」
「それで、私達はいつ外へ‥」
「それは無理だと思います」
「無理?」
「はい」「ここに入って出られた者は、まだ誰もいません」
「捕えておいて何でこんなに立派な‥」
「ここから出られないかわりに、最高のお持て成しをするのがここの決まり」「ただし、お気をつけ下さい」「もし、ここから逃げ出すようなそぶりが見られましたら、直ちに処刑されます」「充分お気をつけ下さいまし」
「‥‥‥」「でも、毎日こんなに立派なお食事を用意なさるのも大変でしょう」
「それは、王様の御命令で‥」「そういうことは、一切気になさらないで下さい」「それから、今私が申したことは絶対に口外なさらないようにお願いいたします」「私の首が飛ぶことになるかもしれません」
「‥」「はい、わかりました」「でも、御馳走になっているばかりでは申し訳ないですので、何かお手伝いでもいたしましょうか?」
「そ、それは、おやめ下さい」「御命令以外のことをしていただくわけにはいきません」「もし、そんなことをされますと、私の‥」
「は、はい、わかりました」
この家の主人が席を離れたとき、女性が一人顔を近づけた。
「ねえ、何を話していたの?」「ここから、いつ出してくれるって?」
「‥‥‥」
「ねえ、教えてよ」「まさか私達を殺すつもりじゃあないでしょうね」
「そんなことはないよ」「そんなことは‥」
私はこれ以上何と言っていいのかわからなかった。
余計なことは言わないほうがいいと思った。私が何も答えなかったので、この家の主人と私が裏で何か取引をしたかのように見られてしまったようであった。彼等がこっそりとどこかに集まって相談を熱心に何回も繰返していることはわかっていた。しかし皆は私の前で素知らぬ振りをしていた。
ある日通路を歩いていると、仲間の一人がきょろきょろと辺りの様子を見ながら小走りにかけてきた。その後からぞろぞろと仲間達がついてきた。私は後ろ手に掴まれ、顎を押えられた。
「おい、告げ口する気だろう」
私は首を横に振った。
「一緒に来てもらおう」
彼等は逃げ出すつもりであった。無事には助からないと思ったが、彼等についていくしか他になかった。私は彼等に手を掴まれたまま前に進んだ。角を曲がると目の前に武装した大勢の男達が刀を抜いて構えていた。私はもう駄目だと思った。隊長らしき男が家の主人を連れてきた。
「ここから逃げようとなされたそうですが」
「いえ、ちょっと迷っただけです」「部屋に戻る道がわからなくなりまして」「複雑で迷路のようですね」「お世話になっているあなたに無断でここを出ようだなんてことは思ってもいません」
私は全員処刑にならないようにと、思い浮かぶ言葉を全て、力をふりしぼって言った。
「お客人はこう言ってなさるが、どうかね」
主人は隊長らしい男に向かってこう尋ねた。彼が答えに詰まると主人は続けて次のように言った。
「ならば、大切なお客人に恥をかかせたことになるが、それでいいのかね」
その隊長らしき男は何も言わず直立不動の姿勢で身体をこわばらせた。私達はすぐに石の壁の部屋に案内された。部屋の真中には大きな円形の石が敷かれていた。主人が先に入ってきた。その後からあの隊長と思われる人物、そして大男が続いて入ってきた。主人は後ろに振り向いて重々しくこう言った。
「いいな」
その隊長らしい男はうなずいた。彼が円形の石の上にひざまずき頭を前に出すと、大男が刀を振り下ろした。それが終わると、主人がこちらに歩いてきた。
「これで、何事もなく終わりました」「御無礼をお許し下さい」
『何事もなく‥?』
全員言葉が出なかった。一人一人が動揺していた。
私は主人に聞いた。
「首を切らなくても‥」「誤解とか勘違いとかいうのも誰にでもよくあることだと思いますが‥」
「あれが、私達の『けじめ』です」「そうしないと彼は死ぬまで他人から笑いものとして見られます」「彼のあの勇気を誉め称え、許してあげて下さい」
後日、私はこの家の主人から呼び出された。
「あなたのお仲間から聞いたのですが‥」「あのとき、ここからお逃げになる計画があったとか‥」
私は言葉を選んでいるうちに、答える機会を失した。
「首謀者もわかっていますが」「あなたはご自分のお仲間から信用されてはいなかったようですね」「私と裏で取り引きをしたとか思われていたようで‥」「あなたは、それが実行されたときまで何も知らなかったと推測できますが」
私は何も言わなかった。
「あなたは、お仲間のことをいつもよく考えておられましたので、今もお仲間に悪い影響が出ないようご自分の言葉に慎重になられているのがよくわかります」「こちらを御覧なさい」
カーテンの後ろから酒でへべれけになっている仲間が一人倒れ出てきた。
「何もかも、白状しました」「ここからお逃げになりたいお気持ちはよくわかります」「今の言葉が王の耳に入ると私の首が飛びます」「あなたを絶大に信頼しているからこう言ったのですが‥」「それはわかっていただけると信じます」「でも一つ問題があります」「あの隊長は私の無二の親友であったのです」「私はできれば彼にあのようなことをしたくはなかった」「私はあのときのあなたの言葉を信じたから‥」「わかりますね」
「あなたがたのおっしゃる『けじめ』という‥」
「そうです」
沈黙が続いた。
「お覚悟はできていますね」
「生きて出られるとは思っていませんから」「それよりも、大切なお友達をご自分の手でなくされたこと‥何と言ってよいのか‥」「お願いがあるのですが」
「何ですか」
「残されることになる仲間達のことですが‥」「あまりにも無謀すぎて‥、とても心配なんです」
「あのように疑われても、まだお仲間達のことを思っておられるのですか」
「どうか彼等を殺さないように」「そして彼等の進歩を見守って‥」
「彼等の進歩ですか‥」「これは難題ですね」「でも見守るぐらいでしたら‥」「でも限度というものがありますが」
「それはよくわかっております」「精神面での応援を‥」
「お仲間達も幸せ…というのですかなあ‥」「でもわからんでしょうねえ‥」
「無理にとはいいません」「できる範囲でお願いします」
「わかりました」「やってみましょう」
私はあの円形の石が敷かれている部屋に入った。なんらかの配慮からか仲間達は呼ばれていなかった。私はひざまずいて、頭を前に出した。切られたと思ったが、まだそうでもないらしい。どうせ切り落とすなら、早くやってほしかったがなかなか先へ進めようとしてくれない。
だいぶ長い時間が過ぎたように思われた。誰かが声をかけてきた。
「もう終わったんですよ」「行きましょう」
「いいえ、まだ『けじめ』が‥」
「もう、あなたは死んだのですよ」
「何を言っているんですか」「ちゃんと、こうして生きているじゃあないですか」「首もこのとおりしっかり繋がっているし」「変なことを言わないで下さい」「私はここのご主人を裏切るわけにはいかないのです」
「よく考えてごらんなさい」「あなたは眠ってもいないし、食べてもいない」
「私は生きています」「本人が言うのだから、間違いはありません」「変なことばかり言うのでしたら、あっちへ行って下さい」
私は何を言われてもその人のいうことは全く聞く気にならなかった。
不思議なことに、部屋に入ってくる人は全員誰もが私のことを無視し続けていた。私がいくら話しかけようともそれに変化は無かった。私はだんだんと寂しくなってきた。身体に触れてもなんの反応もなく、触ったという感触もなかった。寂しさが一段と増し、人との接触を心から求めるようになっていった。私は必死になって人を引き付けよう引き付けようと思っていた。近づく人達を片っ端から自分の意思の力で引っ張った。何人かが私の目の前に現れたが、皆通り過ぎて行った。会話を何回か交わしたこともあったが、私を睨みながら『しようのない奴だ』と呟いて行く者もいた。
ある日この部屋で処刑が行われた。首が落とされたはずの男が、目の前にちゃんとした姿で立っていた。彼は案内の人が来るとその後に従っていった。私にはとても信じられなかった。
『何でこんなことが起こるのだろう』『彼は目の前で殺されたはずなのに、生きている』『これは、どういうことだろう』『人間は、いつのまにか、死ねないようになってしまったのだろうか』『だとしたら、あのご主人に対して申し訳ない』『お詫びのしようがない』『ご主人の親友の首が切り落とされたというのに、私が死ねないなんて‥』『どうしたらいいのだろう‥』
「あなたは、もうここの世界の人じゃないんですよ」
「あのとき死んでいるのですよ」「何をいいかげんなことを言っているのか」「今、それどころじゃないんだ!」
私は自分を迎えに来た人を追い返した。私は長い間同じことで悩んでいた。
悩み疲れたころ、私はふと思った。
『自分は…ひょっとしてあのとき死んだのでは‥』『ということは、私の意思の力に引っ張られて、目の前を通り過ぎて行ったあの人達は‥』『私がこちらに引っ張り込んだのでは‥』
私はこれが事実であるとは信じたくない気持ちがかなり強く残っていた。でもそれが本当のことだと受人れざるを得なかった。
『どうしたらいいのだろう』『あんなことをしてしまって』
また迎えの人が来た。別に自分が死んだということはそれでよかった。しかし、私が引っ張り込んだであろう人達のことの方が気になっていた。しかし私がここで悩んでいても何の解決にもならないことも事実であったのだ。私は力なく、迎え役の人に従った。
管理人所感
この物語の人々の多くが、リーダーを求めるという感情を拭うことができません。
今の時代でも、例えば医療の分野では病になると医師に直ぐに頼ってしまいます。
ガンなどはさほど怖い病ではないのに、医師に身を委ねたが為に命を落としている人が後を絶ちません。
人に頼らずに、自分を確立して自分の決断で生きることが特に大切な世の中にすでに入っています。
しかし今回の物語でもそうですし、いつの時代でもそんな霊的自立を私たちは学んでるのです。
この霊的自立を「自己確立」といいますが、自分勝手に生きるということではなくて、個と全体が一体になるということです。
私たちは全体を無視して全体と乖離して生きて行くことはできません。
全体の意思と個々の意思が一つになった時、初めてユートピアが実現します。
それを妨げているのが「我」であり「恐怖」であり「信仰心の無さ」なのです。
そして「無関心」ということも挙げておきましょう。
もうすぐここで紹介するであろう「石切の物語」の中にそれは詳細に表わされています。
自他一体とは、個と全体との調和、愛と調和を意味します。