* おもいで(その16)ロシアに生まれて2… 志摩川友重

おもいで(その15)の続きです。(志摩川)


 私は、低い木の台に薄汚れた古いマットレスが敷いてあるだけの粗末なべッドに足を投げだして腰を下ろし、後ろの壁に寄りかかった。部屋の人達は各自思い思いの姿勢で横になっていた。彼等は少しも動こうとはせず、私かいることについても一切何の反応も示さなかった。交替の番がくるまで何もすることがなく、私は機械の騒音の中でぼうーっとしていた。
 ベルのような音が大きく鳴り響くと、彼等はすぐに飛び起きて部屋の外に出た。私は彼等の後についていった。ボイラー室のようなところに近づくと、大きな音が身体に響いてきた。その中は物凄い熱気と騒音で頭が割れそうな感じであった。同じ部屋の仲間の一人がこちらを向いて叫んだ。
「……」
 よく聞きとれなかった。
「この針が赤いところまでくると、船がぶっ飛ぶぞ!」「気をつけろ!」
「はい!」
 私達は蒸気の圧力が下がらないように石炭をくべた。絶えず圧力計とボイラーを睨んで作業をしていたので自分のことなどを考えている暇はなかった。夢中で仕事をした。何時間か経って交代の時間となった。あの上官が近づいてきた。
「どうだ!」「もう逃げ出したくなったろう!」
「いえ!」「そんなことは、ありません!」
「ほうーっ!」
「ところで、食事はどこでするんですか?」
「材料は用意してあるから、自分でつくれ!」
「どこで?」
「部屋に調理場があったろう!」「気がつかなかったのか!」
「はっ、はい、わかりました!」

貴光
Art by T.Shimagawa

 私は部屋に戻った。
 部屋の奥に細長い調理場があった。中を覗くと『今俺がやってんだからちょっと待ってろ』とでも言いたげな表情をして睨まれた。私はすぐに引っ込んだ。思えば、私は生まれてから一度も料理というものをしたことがなかった。側にいる人に料理の仕方を聞いてみた。
「そんなの簡単さ!」「食べたいやつを適当に熱い鍋にぶちこめばいいのさ!」
 新入りの私は一番あとになった。やってはみたがうまくいかなかった。たくさん並んでいる瓶に何か入っているのか、またその使い道が何なのか全くわからなかった。人に聞いても面倒くさがって手を横に振るだけで何も言わなかった。腹が空いて我慢ができなくなってきたので、やわらかそうな野菜を選んでそのままかじった。するとなかでも小柄な男が私に近づいてきた。
「おまえ、だめなんだなあ!」「鍋に油をしかないと!」
 彼はそういって並んでいる瓶の中から一つ取り出して鍋にたらした。それをじっと見ている私に向かって言った。
「おまえ、なんにも知らないんだなあ!」「おまえのぶん、これから俺が作ってやるから心配すんな!」「それに、じっと見られていると、気が散っていけない!」「できたら持ってってやるから、あっちで待ってな!」
 私は礼を言いながら自分のベッドに戻った。ベッドで仰向けになって待っていると彼が料理を皿に盛って持ってきてくれた。
「有難う!」「先に作ったの冷めちゃったね!」
「俺のか?」「いいよ、気にすんな!」「これからは俺のぶんといっしょに作ってやるから安心しろ!」
「有難う!」


 私は初めてこの部屋の一人とまともな会話ができてほっとした。そして彼の方からすすんでしてくれたということが本当に嬉しかった。
 航海も順調なので、割当て時間中は部屋の仲間同士が一人ずつ交代してボイラーをみることになった。ある日、圧力がなかなか上がらないので私は一生懸命投炭を繰返した。するとボイラーがゴオーと音をたて、がたがたと揺れはじめた。すぐに部屋の仲間の背の高い細っそりした男がとんできた。彼は真青になって慎重にパイプの栓を緩めた。ボイラーが正常に戻ると彼はこちらを向いた。
「馬鹿野郎!」「俺達を殺す気か!」
あの上官が来た。
「どうした!」「大丈夫か!」
「はい!」「たいしたことは、ありません!」「大丈夫です!」
 背の高い男はこう言いながらその上官の肩を抱くようにして二人でボイラー室を出ていった。
 あとからあの小柄な男が様子を見にやってきた。
「ボイラーをふっ飛ばすところだったんだって!」
「ああ!」「水は自動で送られているんだと思っていた!」「だから水量計なんて全然考えたこともなかったんだ!」「これだね!」
「ああ、そうだよ!」
「さっき、これを回していたから、これで調節するんだね!」
「うん!」「だけどよく助かったね!」「ふつうだったら、爆発して粉微塵になっているか、安全弁が抜けて航行不能で海の上で立ち往生しているところだけど!」
「心配かけてごめん!」
「無事でいられるだけでもよかったよ!」「神様のご加護のあったおかげじゃないかなと思うよ!」
二人で抱き合って無事を喜び、これに感謝した。二人は心の底から話し合える友達となった。

マニ宝珠
Art by T.Shimagawa

 交代で部屋に戻ると、さっきの背の高い男が呆れた顔をしてこちらを見ていた。他の仲間達も同じように呆れた顔をしていた。
「先程は危ないところを助けていただいて、有難うございました!」「原因がわかりましたので、もう二度とああいうことはいたしません!」「申し訳ございませんでした!」
「あきれたやつだなあ!」「最初にちゃんと言っておいただろう!」「人の言うことはちゃんと聞いておけよ!」「こんなことじゃ、命がいくつあったって足りやしない!」
 その背の高い男は私の友達に向かって言った。
「危なくてこいつに一人で仕事させておくわけにはいかないが!」「俺達もその男のことをいちいち見ているわけにはいかないからな!」「この男のことはおまえに任すぞ!」「おまえは、この男の監視役だ!」「いいな!」
「大丈夫ですよ!」「彼はもう、よくわかってますから!」「こんなことは絶対に起こしませんから!」
彼は私のことを一生懸命になってかばってくれた。だが彼等は彼の言葉を無視していつものとおり横になって黙りこんでしまった。これからというもの、私と彼は仕事ではいつも共に行動するようになった。
「君の監視役をしようだなんていうつもりは、全くないから!」
「うん!」「わかっているよ!」
 船の速度がいつもよりも落ちてきたような感じがした。船の揺れも小さくなった。
「港へ入ったんだよ!」
 友達が小さな声で言った。二人は廊下の壁に寄りかかりながら船の様子をみていた。あの上官が目の前を通った。
「もうすぐ、上陸だ!」「準備しておけ!」
「はい、わかりました!」
 よく考えたら全て持ち物は頂けてあったので、準備といっても自分のことでは何もすることがなかった。
 船が港に着き、私達二人も上陸できることになった。
「おまえ、手紙書いといたか!」
 あの上官に声をかけられた。
「いえ、持ち物は預けてありましたし!」「それに、紙とペンは用意してなかったんです!」「もしよろしければ、貸していただけませんでしょうか!」
 その上官は面倒臭そうな顔をした。
「俺ら手紙なんか出したことがないからな!」
「港でさがしてみます!」
「そうだな!」「それがいいだろう!」
 下船のときに預けていた物と今までの給料を渡された。
 他の仲間達はいつも出入りするらしい酒場に向かった。
「俺、うちに手紙ださなくちゃいけないので、紙やペンを売っているところをさがすよ」
「ああ」「以前はあいつらとしかたなく酒場なんかに付合いで行ってたけど、本当は酒なんか好きじゃないのさ」「それ売っているところを一緒にさがしてやるよ」
「悪いね」「ところで、ここはどこなのかなあ」
「詳しいことはよくわからないけれど、南隣の国の港町らしいよ」
「なるほど、ここは外国なんだ」「それで町の人達が見慣れない格好をしているんだ」
「ここではみんな背の高さが自分と同じくらいなんで、堂々と歩けるよ」
「……」
 私は彼の気持ちを考えて、それには返事をしなかった。
 店が道の両側にたくさん並んでいたが、どの店も背をかがめないと頭がぶつかるほど低く中も狭かった。言葉は全く通じなかった。身振り手振りで聞いてみたが、こちらの言いたいことが相手に伝わっているのか伝わっていないのかよくわからなかった。だが自分の国の貨幣はここでは酒場以外通用しないらしいことがわかってきた。郵便局らしいところがあったので入ってみたが、やはり言葉は通じなかった。混雑している狭い局内で異国の大男が訳のわからないことを言っているので、まわりが変な雰囲気になってきた。私達はすぐにそこを飛び出じた。腹が空いてきたが、食堂があっても手持ちのお金は何の役にも立たなかった。
 酒場に行っても面白くないので、二人とも船に戻ることにした。しかし、船の上がり口には小銃を持った二人が立っていて中には入れさせてくれなかった。
「この船の乗務員だ、中に入れてくれ」
「だめだ!」「関係者以外、中に入れるわけにはいかない」
彼等は銃口をこちらに向けた。
「だから、この船の乗組員だと言ってるだろうが」
「それだったら、手帳かなんか持っているだろう」
そういえば、そういうものを渡されたことがなかった。
「だめだ!」「嘘をつくんじゃない!」「早くここから立ち去れ!」
 彼等は頑として受けつけなかった。私達は仕方なくまた町に向かった。
 町の中に入っても、これといってすることがなかった。夕方になったので宿をさがすことにした。ホテルをみつけたので、ここの主人に会って交渉をしてみた。自分達のお金が使えることがわかったが、少し高いような気がした。手持ちのお金はなるべく使わずに母に手渡したいという気持ちがあった。ここで泊まるのよりも酒場に行って食べていた方が安くあがるのではないかと思った。私はここでの宿泊をあきらめて酒場に足を向けた。彼も私についてきた。