今から何千年か前のことであると思いますが、正確な年代は分かりません。この話は前回(その11)からの続きです。(志摩川)
私は変に偏った上下の関係で人に接するのが嫌であり、人を蔑(さげす)みの目で見ることも、また相手に対して自分を必要以上に卑下することもなかった。もちろん彼等を奴隷として見下すこともなかった。
それは誰に教えられたわけでもなく、自然と自分の心の中から湧き上がってくるものに素直になっていただけであり、それ以外の考えは思いもつかなかった。
私は時間があるときはいつもあのお爺さんのところまで会いにいった。私はお爺さんと話をするのをとても楽しみにしていた。お爺さんの知識はたいへん豊富で、自分の知らない世界のことなどを経験談も含めていろいろと教えてくれた。
お爺さんとの会話を楽しんでいるときも、私は自分が彼等の中に自然ととけこんでいくことができるように絶えず気をくばっていた。私は彼等と顔を合わせる度に「こんにちは」と明るく声をかけた。最初は彼等も戸惑っていたようであったが、回数を重ねるのに従い彼等も明るく答えてくれるようになった。
だがお互いの今までの境遇があまりにも違いすぎて共通の話題も見つからず、何の話をしたらよいのかなかなか頭に浮かばなかった。彼等と心を通じ合わせる仲立ちにはお爺さんの話が不可欠であり、それが頼みの綱であった。
お爺さんのおかげで彼等とも慣れ、誰とでも気軽に話し合えるようになっていたが、ある日のこと見慣れない顔の人達が数人彼等の仲間としてどこからか連れてこられていた。新顔の人達の顔には覇気がなく誰も皆落ち込んでいる様子であった。彼等が腰を下ろしている中を歩いていると、突然そのうちの一人が立ちあがった。彼は刃物を持って私に向かってきた。私は逃げなかった。彼が私を掴まえて私の身体に刃物を近づけようとすると、前からここにいた人達が全員立ちあがり彼を取り押さえた。彼はあと少しだったのに何で止めるのかとでも言いたげな表情をしていた。私は自分の感情を顔に出さないように気をつけた。そして彼を刺激しないため、すぐに自分の部屋まで戻ることにした。私は今ここであったことを誰にも言うまいと心に決めた。私は彼等に向かって頭を下げてから部屋に戻った。
数日後、私は何事も無かったように彼等の前に姿を見せた。彼等は私の様子を窺っているかのようにおとなしくしていた。呻き声のようなものが聞こえたのでその声の方に近づいた。誰かが仰向けになって苦しんでいた。この前刃物を持って私に襲いかかってきたあの彼であった。彼の胸は何かの傷で化膿していた。
「早く治療しないと‥」「誰かこの人を運ぶのを手伝って!」
皆怯えていて誰も手を貸そうとはしなかった。私は一人で彼を連れていくことにした。彼は何か酷い仕打ちを受けるのではないかと思い私に対して抵抗をした。元気はなかったが寝たまま手足をばたつかせて暴れた。
「静かにしなさい!」「治療するだけだから」「何も酷いことはしないから」
私はこう言いながら彼の身体を引張り始めた。彼はおとなしくなったが顔にはあきらめの表情がでていた。
彼を部屋に連れていくと、すぐに父に事情を話して医者を呼んでくれるようにたのんだ。彼はベッドの上で苦しそうに唸っていた。医者が二人入ってきた。医者は何で奴隷なんかを治すんだと言いたげな表情をしていたが、父が目配せで治せと命令した。
医者の治療が終ると、私はベッドの横の椅子に座って彼の汗を拭いた。彼は危害を加えられる恐れがないことを知ると安心して深い眠りに落ちた。翌朝、気がついて目を開けるとあれほど怯えていた彼がベッドに横になったまま優しい目をしてこちらの方を見ていた。彼の目は奇麗に輝いていた。
彼の身体は日増しに良くなっていった。
「何であのとき私に刃物を向けたの?」「私を殺す気だったの?」
「自由になりたかったから…」「逃げる機会を窺っていたところだったんです」
「そこへ私が現れたわけ?」
「はい」
「のこのこと?」
「ええ‥、まあ、そういうことになります」
「逃げる気は全くなかったようでかえって私の方がびっくりしてしまいましたが、怖くはなかったんですか?」
「そういえば自分がどうなるかなんてことは何も考えていなかったわ」「ただ何が起こっても自分の信じていることを最後まで貫きたいと思っていただけ」
「じゃあ、神を信じているんですか?」
「そういうのではないわ」「何と言っていいのかはわからないけれども、そういうものよりももっと素晴らしい何かがあるような気がしてならないの」「魂のあるものとして身につけなければいけない何かが」「自分の力で獲得していかなければならない何かが」
「そのためには、自分が殺されても平気なんですか?」「私がこんなことを言うのも変ですが、そのために家族を悲しませることになってもいいんですか?」
「ごめんなさいね」「私そこまで気がまわらなかったわ」「もう少しで父や妹を悲しみに突き落とすところだったわ」
「あっ」「いいえ、どうか私に謝らないで下さい」
「自由になりたいばっかりにこんなことしてしまって」「あなたに刃物を向けたこと今ではとても後悔しています」
「自由ね」「考えてみれば、自由になりたいために行動を起こせる分だけあなたには私より自由を持っているかもしれないわね」「でもあなたの今までの並々ならない苦労を思うとそんなこと私に言う資格はないわね」「ところでその傷、何が原因だったの?」
「これは、私があまりにも反発するので、前にいたところで皆の前で見せしめにやられたんです」
「役に立たないんで売られてここへ連れてこられました」「そしてここへ来て最初にお嬢様にお会いしたというわけです」
「そうだったの」「私にはあなたのお役に立つことなど‥、とてもできそうにないわ」
「いえ、とんでもない」「私の話をこんなに熱心に聞いていただけるだけでも有難いことだと思っています」
彼がある程度病状が回復した頃を見計らって私は彼に向かって次のように言った。
「あなたには悪いんだけれども…」「こんなにまで元気になったあなたがこの部屋で休んでいる姿を父に見られると、また何を言われるかわからないわ」「もっとここで休んでいてもらいたいけれど、それはできないことなの」「本当にごめんなさいね」
彼は私の言葉に黙ってうなずいた。彼はもう歩けるようになっていたが、念のため私は彼を肩でささえて皆のいるところまで連れていった。彼等は彼の元気な姿を見ると驚きのあまり声を上げた。彼は地面に腰を下ろすと涙を流しながら私の手を両手でつかんで何度も頭を下げ、一生懸命感謝の気持ちを表していた。
彼は相変わらず上から押えつけるものに対して反発していた。さすがの父も彼の扱いにはかなりてこずっていた。いつのまにか彼等の中から彼の姿が消えていた。
「お父さま‥」「あのとき怪我をしていた方、今どちらにいらっしゃるかご存知ですか?」
「ああ、あいつか」「病気を治してやったというのに‥、人に対する恩というものがわからない奴だ」「なかなか人の言うことを聞こうとしないので売りとばしてやった」「買った方も奴の扱いに困り果てていることだろうよ」
「どこに売ったのですか?」
「さあ、俺は知らん!」「忙しくていちいち俺はそんなことにまで出ておれんからな」「それに、だいいちそんな細かいことまで記録している暇人もおらんだろうに」
「それじゃあ、あの人がどこへ連れていかれたのかもわからないんですね?」
「ああ」「売った先がわかったとしても、またどこかに転売されとるかもしれん」「でもなぜそんなことまで気にするんだ?」「何かあったのか?」
「えっ?」「いえ、何もありません」
「いいか」「奴隷の奴らのことを人と思うんじゃあないぞ」「あいつらを甘やかすと調子にのって付け上がるだけだからな」「いいか、わかったな!」「気をつけるんだぞ!」
「・・・・・・」
私は彼のようにどこまでも自分の意思を貫いていくことのできる人がとても羨ましかった。そして彼が今でも自由への挑戦を続けていると信じていたかった。私は彼のような人には過去一度も会ったことがなかった。彼は私が尊敬することのできるたった一人の人物であった。彼がいなくなったことにより、私は自分の胸にぽっかりと真白い穴があいたような感じになっていた。
それからというもの私は元気も出ず、毎日ぼおっとして力なく過ごしていた。父はこれを見て気分転換のために私を旅行に連れていってくれることにした。私は気が進まなかったが、この心の状態では他にすることも特に心に浮かんでこなかったので、何も考えずにそのまま父に従った。
かつぎ駕龍(かご)に乗せられた。それは人が一人椅子に座れるだけの広さの、屋根のついた小さな部屋のようなものであった。その底から長い木の棒が前後左右に数本伸びていて、その棒を奴隷達が神輿を担ぐように肩にのせていた。その駕龍は太陽の直射と砂埃を遮るためにしっかりと丈夫に作られていた。そして小さな窓を開けることによって外の景色を見ることができるようになっていた。街の様子がいつもより高いところから見えるので興味深く外を眺めていたが、街を出ると一面単調な砂原しか目に入らなくなった。窓から風に吹き飛ばされた砂が入ってきたので、すぐに窓を閉めた。狭くて暗い駕龍の中で揺られながらものすごい暑さに耐えていた。
父の友人達のところを数箇所訪問した。何番目かの訪問先でのことであった。そこの主人が私達に彼の奴隷達が仕事をしている場所をぜひ見せたいと言い出した。私は彼等が無理やり働かされているところは見たくもなかったが、一人だけ残るわけにもいかないので父と行動を共にした。低地になったところで大勢の奴隷達が黙々と作業をしていた。およそ二~三メートル四方の広さで区切られていて、それぞれ三人ぐらいずつの人達がその中で膝まで泥につかって足踏みのようなことをしていた。
そこの召し使いの話によると彼等は土を捏(こ)ねさせられているとのことであった。私達はその召し使いの後について木で組まれた橋のようなところを歩いていった。ふと右の方を見ると、懐かしい人物が目にとまった。ひたすらに自由を求め続けていたあの人であった。私は急いで橋を戻り低地に下りて泥のなかに踏み込んだ。綺麗な衣服の裾は泥だらけになったが、そんなことはいっこうに気にならなかった。彼は私の方を見てびっくりしていた。私は泥の中を彼に向って夢中で歩いた。泥の中ではなかなか自由に進めずに気ばかり焦り、かなりの時間が経過したように思えた。彼のところにたどり着くと私は感激のあまり彼に抱きついた。私はすぐに気をとりなおして彼の手を両手でつつんだ。
「今までずっと心配していたの」「酷い仕打ちでも受けているのではないかと思って…」「あなたを父が売ってしまったのを後で聞いて…、どうしょうもできなかったの」「もう会えないものと思っていたわ」
私の顔が急にくもった。
「私の力ではもう何もできないわ」「お父さまも許して下さらないと思うわ‥」
彼は優しい目をして私を見てくれた。そして何も言わず、父のところに帰るように手で合図をした。
「ごめんなさい‥」
それ以上何も言えずに涙をこらえながら来た道筋を逆に戻っていった。気がつくと私は全身泥まみれになっていた。いつものこととはいえ、父は私を呆れた顔をして見ていた。召し使いの人が心配してこう言った。
「ご存知の方のようですね」「何かの間違いで奴隷として売られてきてしまったのでしょう」
「無事にお戻りになることができるように旦那様にお願いしておきたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
『父が怒って売りとばしたんだから、許してくれるなんて思えないわ』『お願いしたところで反対されるか相手にされないにちがいないわ』『でも頭から決めてかかるのはよくないことだわ』『やってみないうちに結果がどうなるかなんてわかるはずはないわ』『本当はあの人が奴隷から解放されて自由になるのがいちばんいいことなんだけれども』『でもあの人一人だけというのも…』
『私、何て恥ずかしいことを考えていたのかしら』
『全員が解放されることを願うのでなければ他の人達に対して失礼だわ』
こんなことを一人で考え込んでいるうちに感きわまって私は思わずその場に泣き伏してしまった。
いつも訪問先では父の娘として相手側が用意したもてなしの席を快く受けなければいけないと父から厳しく言われていて、食事には必ず出席させられていた。しかし今回は父から次のように言われた。
「具合が悪いと説明しておくからな」「私が戻るまでここで休んでいろよ」
私は宿泊のために用意された部屋のベッドの上で目を真赤にしながら横になった。灯りを消して部屋を暗くしておいたおかげで、何とか気分を落ち着けることができた。気がつくとこの家の奥様が心配そうに私の顔をのぞきこんでいた。
「あら、びっくりさせてごめんなさい」「ご病気だというので心配になって様子を見にきたのよ」「お家から遠く離れたところで‥、さぞ心細いことでしょうね」
「有難うございます」「こちらでゆっくりと休ませていただきましたので、私‥もう大丈夫です」「どうかご心配なさらないで下さい」
「そんなに堅苦しくなる必要はないわ」「自分の家にいるつもりになって楽にしていいのよ」
奥さんは私のことを心配して、父が来るまでの間私の側にずっと付添っていてくれた。父は夜遅くなって戻ってきた。父は奥さんの姿を見ると恐縮して言った。
「せっかくのところを御無礼した娘のことまでご心配いただき誠に申し訳ない」「何から何までいきとどいた御配慮、本当にかたじけなく存じます」「御主人には重ねてよろしくお伝え下さい」
「娘さんのことが心配でまいりましたが、大きな病気ではないようですので一安心できましたわ」
「お身体のこと無理しないようにおだいじにして下さい」「では、私はこれで失礼いたします」
父は奥さんに向かって緊張しながらお辞儀をしていた。そして奥さんが部屋から出ていくと私の方を向いた。
「おい、おまえなあ」「あまり俺をはらはらさせるなよな」「昼間のときは、もうどうなるかと思って生きた心地もしなかったぞ」「おまえは小さい頃からとんでもないことをよくやらかしてきたから、俺もまあまあのことだったら慣れてはいるつもりだが‥」「少しは俺のことも考えてくれよな」
帰る予定の日の早朝、奴隷達が出発の準備を済ませ隊列を組んで私達を待っていた。父と私の二人とお世話になった家の人達一同が向き合う形で並んだ。父の友人であるこの家の主人と父が手を取り合い肩を抱き合って別れの挨拶をした。挨拶が終えて私が用意されている駕寵に乗ろうとしているところに奥さんが近づいてきた。
「あなたの親しい人がここに奴隷として売られてきていたんですって?」
「ええ」
「でも、一目みればわかりそうなものなのに」「全く気がつかなかったのかしら」「売る方も売る方だけど・・、買う方も買う方ね」
「奥様のところに来れて幸せだったかもしれません」「それに外見ではわからないですし」
「えっ‥」「それはどういうこと‥」
「まわりの人達と同じなんです」
「それでは、あなたの親しい人って奴隷だったの?」
「ええ‥」「じつは、そうなんです」「でも命の恩人のような人なんです」「私を助けてくれた‥」
私は到底理解はされないだろうと思って、口からでまかせを言ってしまった。
「あら、そうだったの」「それなら相手が奴隷とはいえ、あなたの気になる心持ちもわかるような気がするわ」
「でも奥様のように優しい方のもとで働ければ彼も幸せかと思います」「いろいろと心配していただきまして本当に有難うございます」「この御恩決して忘れません」
「道中のご無事をお祈りします」
私は駕寵に乗った。隊列は静かに動きだした。
管理人の所感
昔のような所謂奴隷という、自由のない環境に生まれている人は、今は本当に少なくなっています。
世界各国の法律に照らし合わせれば、世界中に奴隷がいることは許されていません。
しかし実際にはまだ「居る」というのが現実です。
世界の貧しい世界では少年少女の人身売買がいたるところで行われています。
平和な国であっても学校や職場でのイジメや家庭内の虐待は日常茶飯事であり、これは所謂権力による強制であり、人から自由を奪っているものです。
職場の上下関係だって同じようなものなのです。
だからみんな、会社に行く月曜日は暗くなります。
法的にどれだけ自由をうたっても不自由はなくなりません。
それは私たちの心の中から生成されているものです。
宇宙の法則から観ると、現象はすべて心の反映ということができるからです。
とはいえ、アメリカなどでは奴隷制度はつい最近まで法的に認められていましたことを考えると、今はそういう国はありませんので、これは宇宙の法則から観ると人類が自由を獲得するまでに短期間で成長したというようにみえるかもしれませんが、前述したように不自由は別の形で現れています。
この生で女性に生まれた志摩川さんは奴隷の行動力を見て言いました。
「自由ね」「考えてみれば、自由になりたいために行動を起こせる分だけあなたには私より自由を持っているかもしれないわね」
地球はカルマのある星ですから、地球に生まれた宿命からしてカルマから制御を受けています。
カルマから受ける制御というものは並の人間の自由意思を凌駕していて、カルマを償還しないと本当の心の自由も獲得できず、自由に生きるということが難しいのが実態です。
自由を獲得するためには心のこだわりや条件付けをリセットしてクリアにいけませんが、カルマの償還も必要となります。
カルマについて
良い機会ですのでカルマについて書いてみます。
自由に生きるためにはカルマをクリアしないといけませんが、これが結構大変なのです。
カルマというものはなぜ必要なのでしょうか?
それは意識の進化のためです。
意識の進化とは何でしょうか。
それは愛の心の育成です。
では、愛とは何でしょうか?
この愛とは何かということが実は人類のほとんどの人が理解不能なのです。
先ず、競争社会が肯定されている限り愛の理解からは程遠いのです。
愛とは自分が全体と一体となることで、一番になることを目指すのは愛とは逆の意識です。
競争は相対的に人と自分の差別を作り出すことを目指すもので一体ではなくて「分離」なのです。
真の進化は絶対的なものであり、人と相対的に比較して測るものではありません。
自分と全体が一体となる全体とは全体意識です。
ワンネス、一なるもの、大我・・・ 個と全体の一致、自他一体・・・
個は存在していますが、全体の歯車として存在していて、個の意思と全体の意思が一体になって動いていて、個は全体の意思を常に観ることができて、全体を自分と感じることができます。
拙書の下記のリンクに分かりやすく解説してあります。
「自己確立(霊的自立)」
「人間の身体に譬えれば、私たちの頭が大元の神で、手足やその指が私たちです。」
「意識をもったジグゾーパズル」
愛はいろいろな言い方で言い替えられますが、自分と他人を含めた全体が自分自身との感覚が出ると先ず恐怖心、心配心が起きないことは論理上お分かりと思います。
いま現在の私たちは、私たち自身が怖いでしょうか? 私たちは私自身から攻撃を受けると恐怖心を持ちますか?
持ちませんね、それは私全体の意思が統制されていて充分に理解できるからです。
愛の反対は恐怖心だと言われるのはそれ故です。
恐怖心とは自己への執着心ともいうことができます。
さてカルマですが、
私は「宇宙の理」という月刊誌に発行元のザ・コスモロジーが病気や人間関係などで悩む人の浄化した文書を整理してまとめていたことがあります。6-7年続いたでしょうか。膨大な資料を読み、そのなかから毎月記事にするものを選択してパソコンに入力していました。
その浄化はクライアントの霊症に纏わる意識体を器械と呼ばれる霊能者が自分の中に呼び込み、授諭者と呼ばれる方が器械を通して語る意識体と会話して、「もうそんなことはお止めになった方が良いですよ」と納得してもらって光の下に帰ってもらうという作業をするのです。
一般的なお祓いだと否応なく無理やり払いますのでまたすぐに戻ってきますが、授諭者が諭すのですから納得して光の下に自発的に行くので戻らないのです。
この作業をしていてカルマというものは恨みが元で出来ているということがはっきりと解ったのです。
すべてがすべてそうだと断言はできませんが、可なりのカルマは人の恨みから発生しているということが理解できました。
例えばこういうことです。
ある人(A)が自分の子供をBに殺されました。
その時点でAはBに恨みを持ちます。
Bが生存中にAがBを苦しめることもありますが、二人とも死んだ場合にはBが次に生まれたときにAはBの人生にかかわります。
AがB自身を不幸にするように動く場合もあれば、自分が子供を失った寂しさや無念をBにも味あわせようとBの子供の死を策略する場合もあります。
このようなことが場合によっては何代も続く場合があります。
なぜ何代も続くかというと、時間のない霊界では恨みが際限なく続くからです。
自分の子供を殺された無念から人にはそんな無念を経験させたくないと思う心ができると同時に、加害者を恨み、その恨みをカルマとして実行に移したりすることも行われるのです。
基本的にユートピアの世界では自分が経験している現象は自分の心が元で起きている、自分が自分の世界の創造主であるということを心から知っていますから、人を恨むということは起きません
(この心からが大切) 。
ですからユートピアではカルマも発生しません。
自分と他人を含めて自分なのですら、他人(自分)を恨んで傷つけることもありません。
ですから、何があっても本来は怒らない、恨まないということが大切なのですが、まだ人類は正義感を学んでいる最中の人もいますので、一概には言えないのです(正義感はユートピアには持ち込めない)。
終極的な理想が解っていても、私たちは人類が常識的に悪と呼んでいるものを経験しなければならない段階の人が、私を含めてたくさんいます。
今回の「おもいで」で売りに出された奴隷の場合などは、不自由を経験して自分の勇気という意志の強さを磨いている学びをしているのかもしれません。
勇気とは本当の自分の心(良心)に従うことです。
自由意思
どこかで既に書いたかもしれませんが、二極の世界でのみ自由という観念は存在します。
二極とは「自由」と「不自由」です。
世界が自由だけ存在していたら自由という観念もなく、概念も存在しません。
自由が存在するのは不自由があるからです。
本当は自由しかないのに、私たちは物事に条件付けをしていて、条件付けをするたびに不自由を作っています。
私たちは不自由という幻想を学び、また一歩、真の自由に近づいているのです。
いま本当に「いまここ」を生きることに集中しなければなりません。
5年先10年先ではありません。のんびりできないのです。
今すぐに、自由な心に変化する必要があるのです。
2014年から2015年にかけてはそういう時代なのだと思います。